夏になると食べたくなる「アイスクリン」。
さっぱりした味わいとどこか懐かしい食感が、多くの人に親しまれてきました。
でも、その発祥がどこなのか、そしてアイスクリームと何が違うのかをご存じでしょうか。
この記事では、横浜・馬車道で誕生した「あいすくりん」から、高知で根付いた行商文化、そして現代に残るブランドまでを詳しく紹介します。
さらに、アイスクリンとアイスクリームの違いをわかりやすく解説し、どんな魅力があるのかをひも解きます。
150年以上続く歴史を知れば、次に食べる一口がもっと特別に感じられるはずです。
アイスクリンの発祥はどこ?歴史をひも解く
アイスクリンは日本独自に発展した氷菓で、その歴史は150年以上前にさかのぼります。
ここでは、横浜・馬車道での誕生から、明治時代に広がっていく流れを見ていきましょう。
横浜・馬車道で誕生した「あいすくりん」
アイスクリンの誕生は1869年(明治2年)、横浜の馬車道通りで始まりました。
町田房蔵さんが開いた氷水屋で「あいすくりん」という名前の商品が売り出されたのです。
彼はかつてアメリカに渡航した経験を持ち、そのときにアイスクリームを見て日本に持ち帰ったと伝えられています。
当時の記録には「珍しき物有り、氷をいろいろに染め、物の形を作る」とあり、これが日本で初めてのアイスに関する記述とされています。
この出来事こそが、日本のアイス文化の始まりを告げた瞬間でした。
年 | 出来事 |
---|---|
1869年 | 横浜・馬車道で「あいすくりん」販売開始 |
1870年代 | 東京の洋菓子店や料理店に広がる |
つまり、アイスクリンの出発点は横浜の馬車道だったのです。
鹿鳴館に象徴される明治時代の広がり
1880年代になると、アイスはさらに特別な存在として広まります。
特に有名なのが1886年、外国人外交官をもてなすために建てられた鹿鳴館での提供です。
ここでアイスが振る舞われたことは、日本が西洋文化を取り入れる象徴的な出来事でした。
アイスは次第に「ハイカラ」なデザートとして認知され、上流階級だけでなく一般の人々にも知られるようになっていきました。
時代 | アイスクリンの立ち位置 |
---|---|
明治初期 | 横浜を中心に珍しい洋風デザート |
明治中期 | 鹿鳴館などで提供され、西洋文化の象徴に |
横浜から始まった小さな氷菓は、やがて日本の近代化のシンボルとなったのです。
高知で愛され続けるアイスクリンの物語
横浜で誕生したアイスクリンは、やがて高知県で独自の発展を遂げます。
ここでは、大正時代から続く行商スタイルと、戦後に広がった高知名物としての歩みを紹介します。
大正期に根付いた行商スタイル
1921年(大正10年)、高知ではアイスクリーム商工業協同組合が設立されました。
この頃から「アイスクリン」として親しまれ、組合員が行商スタイルで販売するようになりました。
パラソルを広げた移動式の売り方は、道端や観光地でよく見られ、高知の夏の風景を彩っていました。
この行商文化が、高知にアイスクリンを深く根付かせる大きな要因となったのです。
時期 | アイスクリンの姿 |
---|---|
大正時代 | 行商による販売が一般化 |
昭和初期 | 夏の風物詩として定着 |
行商スタイルの普及が、アイスクリンを「高知の味」へと育て上げたのです。
戦後の復興と「高知の夏の風物詩」化
戦後の時代、高知では物資不足の中でもアイスクリン作りは続けられました。
行商の人々が街角でアイスクリンを売る姿は、復興期の風景の一部として多くの人の記憶に残っています。
やがて自動車の普及とともに移動販売も広がり、観光地やお祭りなどで欠かせない存在となりました。
「夏といえば高知のアイスクリン」というイメージが、この時期にしっかりと根付いたのです。
年代 | 特徴 |
---|---|
昭和20〜30年代 | 戦後復興期に街角で販売 |
昭和40年代以降 | 観光地やイベントで定番化 |
こうして高知のアイスクリンは、地域の人々にとって欠かせない「夏の顔」となったのです。
アイスクリンとアイスクリームの違いは?
名前は似ていますが、アイスクリンとアイスクリームには明確な違いがあります。
ここでは、原材料や味わいの特徴を比べながら、なぜアイスクリンが特別なのかを見ていきましょう。
乳脂肪分や原材料の特徴
一般的なアイスクリームは乳脂肪分が8%以上とされています。
一方、アイスクリンは乳脂肪分が約1%前後と非常に低く、卵や砂糖、脱脂粉乳を中心に作られています。
この違いが、アイスクリン特有の軽い食感と素朴な味わいを生み出しているのです。
つまり、アイスクリンは「低脂肪でさっぱりとした氷菓」として位置づけられます。
種類 | 乳脂肪分 | 特徴 |
---|---|---|
アイスクリーム | 8%以上 | 濃厚でコクがある |
アイスクリン | 約1% | さっぱり軽い口当たり |
原材料の違いこそが、アイスクリンを唯一無二の存在にしています。
さっぱり食感が南日本で好まれる理由
アイスクリンは軽い口当たりのため、暑い地域で特に人気を集めてきました。
濃厚なアイスクリームに比べると後味がすっきりしており、何個でも食べられる感覚があります。
高知県を中心に南日本で親しまれているのは、この食感と気候の相性が良かったからといえます。
「さっぱり感」と「素朴さ」が、地域で愛され続ける理由なのです。
ポイント | アイスクリン | アイスクリーム |
---|---|---|
食感 | 軽くてサクサク | なめらかで濃厚 |
人気の地域 | 高知など南日本 | 全国的 |
南日本の気候と食文化にマッチしたことが、アイスクリンの人気を支えているのです。
現代に残るアイスクリンのブランドと文化
アイスクリンは今も多くの人に親しまれ、地域やメーカーごとに独自のスタイルで受け継がれています。
ここでは、全国に展開するブランドと、横浜や高知で守られる伝統の味を紹介します。
全国メーカーとご当地ブランドの両立
岡山のオハヨー乳業や関西のセンタン、高知の久保田食品など、全国各地のメーカーがアイスクリンを製造しています。
スーパーで見かける「昔なつかしアイスクリン」などの商品は、子どもから大人まで幅広く人気です。
一方で高知県の地元企業は、昔ながらのレシピを大切に守り、観光地や屋台で販売を続けています。
大手ブランドとご当地メーカーが共存することで、アイスクリンの多様な姿が今も楽しめるのです。
メーカー | 代表的な商品 |
---|---|
オハヨー乳業 | 昔なつかしアイスクリン |
センタン | あいすくりん |
久保田食品(高知) | 高知名物のアイスクリン各種 |
全国で手に入る商品と地域限定の味わい、両方を楽しめるのが現代の魅力です。
横浜と高知で守られる伝統の味わい
発祥の地・横浜では、タカナシ乳業が「横濱馬車道あいすくりん」を提供し、歴史を感じられる味を守り続けています。
一方の高知では、夏になると移動販売や観光地でのアイスクリン販売が今も健在です。
地元の人々にとってはもちろん、旅行者にとっても「その土地ならではの体験」として楽しまれています。
横浜と高知、それぞれの地域で大切にされていることが、アイスクリンの文化的な価値を高めているのです。
地域 | 特徴 |
---|---|
横浜 | 発祥の味を再現したブランドが存在 |
高知 | 行商スタイルや観光地での販売が今も続く |
発祥の横浜と発展の高知、この2つの地域がアイスクリンの物語を現在に伝えているのです。
まとめ:アイスクリンの歴史を知ると味わいが変わる
アイスクリンは、横浜で誕生し、高知で独自の発展を遂げた日本ならではの氷菓です。
その歴史は、日本の近代化や地域文化と深く結びついています。
横浜・馬車道で生まれた「あいすくりん」は、西洋文化を取り入れる象徴的な存在でした。
その後、高知では行商スタイルを通じて地元に根付き、夏の風物詩として親しまれてきました。
そして現代では、大手メーカーの商品から地域限定の味まで、多様な形で楽しめるようになっています。
時代 | アイスクリンの歩み |
---|---|
明治時代 | 横浜・馬車道で誕生、鹿鳴館で提供される |
大正〜昭和 | 高知で行商が広がり、夏の風物詩に |
現代 | 全国ブランドとご当地メーカーが共存 |
次にアイスクリンを味わうときは、その歴史や地域の物語を思い出すと、より一層特別に感じられるでしょう。
150年以上の時を超えて愛されてきたアイスクリンは、これからも日本の夏を彩り続ける存在です。
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